「胃がんリンパ節多発遠隔転移STAGE4・平均余命1年6ヶ月」②
内臓・骨への転移や、腹膜播種、主病巣の食道への浸潤で、いつベッドに釘付けになるのか。体が動くうちにやらないといけないこと(終活)の優先順位をつけるとき、その第一クールである「自分史を飾った人や母校や自然との再会」を優先にした自分の2ヶ月が過ぎようとしていた。
その2ヶ月で幼稚園からの幼なじみ、高校時代の親友・ポン友、サッカー部の教え子達、ジュニアユースの教え子達・父母会、クラス担任の生徒達、などなど何十人もの方々に訪問いただき、お見舞い・ビデオメッセージ・寄せ書き、贈り物をいただいた。(元気になって恩返しするぞと思わせていただいてます。感謝です。)
3月6日、尊敬していた親父(令和元年5月逝去)が生きていれば86歳を迎えていたその日、山梨県忍野に大学サッカーの同期メンバーの多くが私のために集まってくれた。
久しぶりに会う仲間も皆、どこか体を壊してピルケースとお友達であった(笑)。今までも教え子や、サッカー部の保護者などから、癌封じのお守りをいただいたが、大学の仲間も又、忙しい中それぞれの地で癌封じの願掛けをしてくれたお守りをくれた。(この場をお借りし皆のご厚情に対し感謝)
その日から副作用が軽くなり、私の終活の第一クール「人やふるさととの再会」はピークを越えた
終活の第2クールはジュニアユースチームの引き継ぎである。私の病気以降、コロナの中、スタッフは本当に素晴らしい活動をしてくれている。私がチームを離れても、選手やOB、父母会が、誇れるチーム組織を堅持・強化していくために、出来ることをし始めている。25年になった三郷ジュニアユースは地域・選手・OB・選手保護者の結束の強いチームである。発足から存在する父母会は今になっても交流は続き、一つにまとまれば、地域を動かせるだけの大きなパートナーシップを持っている。また法人化・デジタル化改革はプロジェクトチームを作り、動き始めている。私の教え子達で構成された、最高のスタッフ陣が三郷ジュニアユースを新しいステージに押し上げてくれるに違いない。私はコロナ禍で会合が持てない中でも、週に1回は自宅でリーモートも用いながら、将来構想を話し合い続けている。
副作用と向き合いながら、ジュニアユースのために出来ることを心に強く誓った。それは次の3つ。
- 引き継ぎ スタッフの拡充
- PASIONの礎作り 4種リーグで5年チームながらの県大会出場
- 現場での模範的な選手指導と試合での研ぎ澄まされた采配
そして、それを強く強く誓ったきっかけは、これまでにいただいた多くの皆さんの想いと3月末にあった3つのことがきっかけである。
★三郷北高校サッカー部卒業生とのセナリオでのお別れサッカー。ジュニアユース時代からの教え子Tとの抱擁の際「先生のおかげで人間的も大きくなれました」の言葉。泣けました。
★22期生との卒会式をコロナ禍で盛大に実施できた日、帰り際に高校時代の教え子のTの熱い想い。2人で人目もはばからず泣きました。
★ジュニアユーススタッフのチームや選手を想う気持ちの大きさ。
与えられた残りの命をグランドで完全燃焼するんだ!! 4月から身命を賭した毎日が始まった。
続く