福田教授の総回診【第20回】非常事態に思う

非常事態に思う

人生で、ここまでグラウンドから離れたことはない。自分が自分でないような感覚でいる。
今回の新型コロナウィルス(COVID-19)の世界的感染は、東京オリンピック・パラリンピックを迎える我が国にとって、2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故に次ぐ国難とも言える。非常事態の中、見えない新型ウィルスとの戦いが始まった。わが国は敗戦や多くの大不況・災害でも日本人としての誇りを持って、何度も苦難を乗り越えてきた。その経験をもとに、ワンチームで戦っていこう。

さて、先日、東日本大震災後、4度目の東北へ足を運んだ。
最初は2011年の5月、三郷ジュニアユースの選手保護者から集まった救援物資を仙台のクラブチームに届けるためだ。段ボール7箱を積み東北道を走った。当時は災害関係の車両ばかりが目立ち、被災関係車両は高速料金が無料だったことと、道路がうねっていたことを思い出す。
案内してくれた友人は仙台市若林区の荒浜小が母校だった。現場で自らの少年時代を回顧してくれたあと、私に背を向けて嗚咽していた。いたるところに車が山積みになっており、住宅は土台のみをむき出しにしていた。ここで紹介することすら憚られる悲しみと光景がそこにはあった。「街からヤンキーが一人もいなくなった」の一言の奥深さを噛みしめた。
それから数年の間、ボランティアも含め、宮城県は女川、石巻、気仙沼を、岩手は陸前高田、大船渡、釜石、大槌、宮古、田老などを訪問させていただいたがどこも悲惨な状況であった。どんな時でもテレビや、You Tubeなどでそれらの町の映像を目にすると、目に涙があふれてきてしまう。あの現場に生きていてチャラチャラ生きることなど絶対に出来ない。
余談になるが、これからの修学旅行は地域の人たちの協力や受け入れ態勢が整えば、半日でもいいから東北の地で震災学習を入れるべきであると思っている、記録映像や生で聞いた体験談などを、風化させずに生徒たちに見聞してほしい。
今年2月、塩釜で震災学習をしたのち、9年ぶりに荒浜小付近を訪れた。海岸線に沿った道路はそのものを第二堤防にすべく改修され、沿岸部には鎮魂碑や丘が築かれていた。廃校になった荒浜小は保存されていたが、立ち入りは出来なかった。市の役員の方が校庭跡地にて、訪問者への対応をしてくれている。周辺は家もなくなり、海水浴も出来なくなった荒浜エリアはかなりの殺風景であの時とあまり変わっていなかった。そして当時と同じく、失礼な気がして写真一枚とることが出来なかった。
常磐道も仙台まで通れるようになったが、福島の楢葉や双葉周辺は、汚染土を運ぶダンプカーが交通量の数割を占めている。車窓から見える黒い袋に密封された土は、運ばれる時を待ちわびているかのように田畑の端に並べられている。まだまだ2011年から続く復興への道のりは終わらないのだ。そんなことも知らず、多くの人々はのうのうと生きている。

国難にあたり考える。われわれは、物事に真正面から向き合い、100%以上の努力をしているのだろうか。自分の夢や目標がしっかりと生まれ、それが本気であるならば、その時に与えられた環境の中で、それを叶え、成功させるために、計画や準備をそして努力を始めるだろう。
先のこと、未来のことを想像(イメージ)しないといい準備や計画は成り立たない。自分の毎日にどのくらい努力するための時間が取れるのか。その努力をするために何を捨てる・切り詰める・犠牲にするべきなのか、同志や協力者はいるのか、お金はいくら必要なのか・・・。

計画を立てる力・しっかり準備をする力は今後の成功を支える秘訣である。「成功」の99%は「準備(計画)」にある。その準備、計画とは人によってかける時間もやり方も違う。ただ、成功者の取り組みや考え方を学び、取り入れることはしたいものである。そして何より、やる気が本気、夢が本気なら知恵が出て、憑りつかれた様な集中力で力強く進んでいけるはずだ。

私は、夢や希望や家族や友人すら奪われ、どん底を見た人たちから、どう生きるのか、それでも前を向かなければいけないかを学んでいる。夢も希望すら見いだせない人たちが絵空事ではない「MUST(頑張らねばならない・やるしかない)」な日々を送っているのに、夢や希望をもてる環境にある我々が100%の努力をしない。それでいいのか。言い方は適さないが、ある種のヤンキー状態である。そしてそういう人たちが、私の周りにあまりにも多い。

この非常事態をじっと耐えながらも、来るべき夜明けに大きく羽ばたけるように、いい準備、いい計画に全力を注ごう。練習メニュー作り・年間指導計画・昨年度の反省・新しい付加価値の産出、時間を有効に使い、今だから出来ることを見つけ仲間を巻き込んで邁進しよう。