福田教授の総回診【第7回】「1 日の判断量を増やそう」

最近の選手たちは、試合中声を出さなくなりました。というより、出せなくなったというほうが的確かもしれません。これは三郷だけにかかわらず、日本の中学生年代の傾向なのかもしれません。
サッカーが集団スポーツ、しかも11人もの集団で組織的なプレーも駆使して勝利を目指すわけですから、戦術的コーチングだけでなく、仲間の士気を保ち、鼓舞する(相手を威嚇し、圧倒する)ためにも、またコンビネーションプレーを成功させるためにも声の重要性は今さらと議論の必要すらないでしょう。
その声を出しチームをプラスの方向に導くためには、情報・状況を入手・把握して【判断】した結果、仲間に声をかけるべきであるというアクションをとることになります。

サッカーでいう判断力とは、『いくつかの選択しなければならない状況において、直感的で的確に物事を決定し行動に移せる能力』と私は考えます。
サッカーの局面を判断するには、目で観たり、頭の中で蓄積された情報からどれを優先してどれを後回しにするかの直感的な感覚が必要なのです。この直感的に選ぶ感覚は、人間の持つ脳力といってもいいでしょう。コンピュータなどではいくら高度な計算が出来ても直感的に判断する能力はゼロに近いのです。

判断力の低い人ほどよく迷い、いろいろと考えた結果があまりいい選択ではないことがあります。迷いがある、丌安がある、自信がないなど、これらの精神状態では的確な判断ができる訳がありません。判断力が高い人は、『どのような状況でも冷静に他人の意見やおかれている状況に惑わされる事なく、決断を下せる人』と言えるでしょう。
それを直感的に判断するには、何よりも自分の考えがある程度まとまっていなければ、的確な判断をする事自体難しいでしょう。

今の子ども達は自ら考えて行動する自主性にかけると同時に、自らの判断で動ける環境も奪われている気がします。先日、合宿で最終日の朝、バイキング会場で、行列ができました。朝食後の部屋掃除・荷造り、歯磨きなど慌しさを考慮して、大半のチームの選手たちは行列に並んでいました。三郷の選手たちの半分くらいの選手は誰かの判断と声があったのでしょう。テーブルにジーっとすわり、行列が解消されるのを待っていました。
6:45に時間通り全員が朝食会場にいましたが、一番遅く食べ始めた選手集団は7:07分でした。この判断をどう思いますか。出発の集合時間8時に間に合う、間に合わないは別として、ジーっとほかのチームの選手の動きをけだるそうに20分以上眺めていた三郷の選手を見て、さみしくなりました。

普段の活動でもこちらが指示をしない限り、いつまででも何も行動を起こさない事が多々見られます。行動を起こしている選手たちもほかの仲間に「○○しよう」とか「もう○○したほうがいいよ」
とか言えません(言える選手は数人いますが)。指導者がなんでもかんでも段取りしすぎているのかなと反省してしまいます。
ご家庭での選手たちはどうなのでしょうか。ペットのような生活を送れてしまう選手が今の日本では多くなっているのでしょう。
直感的な判断を要する局面がオフザピッチの中にわんさか転がっているはずですが、それは現代の家庭環境や学校環境では盲腸のような存在なのかもしれません。サッカー環境でもペットのような状態なのかもしれません。ストレッチからダウンまである意味、至れり尽くせりですから誰も、何も心配することはないのです。ですからオンザピッチでも、直感的判断に切れがなく、肝心なところで相手に先手を越されてしまいます。ペットが野生の中に放たれたときのようです。

サッカーを通じて、人間を成長させることは本当に難しい命題です。正しいゴールテープのない、また見えない漠然としたこの年代の人間教育のなかで、【判断力】という科目をしっかりとカリキュラムの中にすえて、指導にあたりたいとつくづく思います。うちの選手は多くが赤点です。
選手をたった一人で他国のサッカークラブに送り込んでみたい。選手も保護者もイメージしてみてください。誰に頼ることもできず、多くの場面で自分の判断力を要し、それが磨かれることでしょう。

同年代の気心しれたチームという集団社会に甘えが見られて、個人の判断力が磨かれないのだと感じました。誰かがやってくれるのです。みんなと同じ行動ならば大きなミスはあっても責任は分散化されるのです。三郷ではマナーアップ・学習向上プロジェクトについで、【判断力向上】プロジェクトを検討します。