福田教授の総回診【最終回】「Be Alert」

 Be Alert

10 月 30 日に逝去された福田貴司前代表の生前に実施したインタビューです。
2007 年から約 15 年続いた福田教授の総回診の最終回を飾る、福田代表の想いをぜひご一読ください。

Q.三郷ジュニアユースが創立 25 周年を迎えました、率直なお気持ちをお聞かせください

A.本来なら、四半世紀を区切りに、お世話になってきた近隣の少年団や、チームに刺激を与えてくれた多くのクラブチームの関係者、OB、そして、何より発足から家族のように一緒 になって選手、チームを支えてくれた歴代父母会の皆様にお声をかけさせていただいて、周 年行事をと、企画しておりました。「コロナ禍」で、また私へ襲いかかる病魔でそれどころではなくなり、想いは叶いませんでした。率直な気持ちとしては、やはり「感謝」しかありません。

Q.四半世紀もの間、チームを指導し続けたモチベーションは何でしょうか

A.3つあります。
1つめは責任感です。自分でやり始めたことを途中で投げ出したり、中途半端にしたりは出来ない性分です。向上心をもって入会してくれた選手と保護者の想いへ応える使命感・責任感です。

2つめはプライドです。「余の辞書に不可能はない。」かのナポレオンが口にした(諸説あり)と言われていますが、 常に「もっと出来る、もっとやれる」と私は思っています。「現状維持は後退も同じ」こう も思っていて、要はプライドがモチベーションなのです。

3つめは「中毒」です。 毎年、十人十色の選手達に接するとワクワクし、成長を見つけられる喜びが日々あります。 それに触れないでいると中毒反応が起こるのですよ(笑)。闘病中でグランドに顔すら出せない現在は、とてもとても中毒反応がでています。

Q.創立のきっかけ、想いを改めて教えてください 方々のインタビューの中でお答えさせていただいておりますし、総回診の中でも記載していますので、まさに改めて、になります。極めて短く箇条書きにてお伝えさせていただきます。

・活発だった 4 種と比較して、3 種である中学校に専門性と持った指導者や、熱心な先生が少なく、また中学校の先生も忙しすぎて部活動指導にまで気が回らない現状を知っている 中で、地域の 4 種指導者から Jr Youth を作ってほしいとの声を受けて。

・勤務地の体育科の先生方のご理解・ご協力。(体育館やグランドの提供)

・コーチングスタッフを任命する中で、適した教え子(宇田川・今村・石川・木下の 4 人の 三郷工業技術高校サッカー部 OB)がいて、快く引き受けてくれたこと。

Q.25 年の中で、最も印象に残っているゲームを教えてください

A.日本クラブユース選手権関東大会の代表決定戦(東松山リコー研修センター)で武南 Jr と 対戦し、1-0で勝利を収めた試合です。
武南 Jr の方が圧倒的に強かったが、中盤の運動量と強固なブロック、2 枚のポテンシャルの高い CB(後に尚志・遊学館でレギュラーとして活躍)で、相手を最後のところで抑えました。後半 20 分にオフサイドでもらった FK をゴール前にロングフィード。ゴール前に上げた 2 人の CB の一人が競り勝ちバックヘッドで後ろへ流すと、もう一人の CB が相手 DF をコンタクトスキルでボールを保持しシュートを決めました。残り 15 分も防戦一方でした がなんとか耐えきり、関東大会を決めました。スカウティングと戦術徹底と FK で掴み取っ た奇跡的な勝利であり、改めて三郷Jrの守備力とセットプレー(特にデザインされた CK) は常に武器となると感じた試合でした。

Q.最も悔しかったゲームは

A.負けゲームは全て悔しいです。やはり関東大会決定戦で勝てなかった試合がいくつもありましたが、そこでの敗戦は悔しさより、選手達に申し訳なかったですね。 特に日本クラブユース選手権の関東大会代表決定戦では AC アスミ・坂戸ディプロマッツ・アレグレに敗戦。高円宮杯の関東大会代表決定では、コルージャ(オナイウ阿道選手 1 人に ハットトリックされる)、GRANDE との試合はよく覚えています。 大体は勝てるだろうと思っていた相手に敗れたときのショックは大きく、自分のスカウティング能力を全く使わない状態(過信)での準備不足は、その後の指導者としての成長につながったと思います。

Q.三郷ジュニアユースの歴代選手で特に印象に残っている選手はどなたでしょうか

A.たくさんいますが、金子修羅選手です。プロにならなかったのが不思議でした。鹿島学園 でも 2 年生で背番号10を背負い、サッカー雑誌にも大きく取り上げられる選手でした。 攻守の守の部分のインテンシティ不足が原因だったのだろうと思います。 ジュニアユース時代は彼のお父さんとも相談してトレセンへの不参加を決め、チームの中 でひたすら修羅中心のチームを作ってきた秘蔵っ子でした。埼玉の小野伸二でした。

Q.歴代の選手でベストイレブンを作るとしたら、どんなチームになるでしょうか

A.個人であるいはコーチングスタッフで楽しむにはおもしろい命題ですが、固有名詞を出 しても、読み手には今ひとつなので控えます。しかし現在コーチングスタッフの中心を担っている高野・今泉の両名は選ばれるのではないでしょうか。

Q.今後はどのようなクラブに成長していってほしいでしょうか

A.育成年代ということを忘れず、勝利だけの最短距離を追い求めるような指導はして欲しくありません。心身ともに大きく変わる時期です。父母会とともに、選手達の心身の成長を 見つめながら、個々の選手に目を向け続ける中で、以下のことを大切にしてほしいです。

1 失って欲しくないこと ・足元の技術(1対1で負けない・コントロール・キック・ヘディング・ぎりぎり まで相手を観察し、判断をやめる判断などをスモールフィールド、高い強度の中で 発揮出来る技術など)を身につけさせること
・挨拶・礼儀・マナーアップ
・父母会との結束・学業を疎かになせない、成績管理・学期ごとの指導、年末の蹴り収めアウォーズ

2 期待していること
・VEO を有効活用した選手育成

・三郷を舞台としたカップ戦の主催 ・総回診に変わる HP 上のコンテンツ発信 ・県 1 部リーグから関東リーグへの昇格 ・プロになる選手の増加

Q.少しお話は変わりますが、福田代表とサッカーの出会いはいつごろだったのでしょうか

A.小学校 4 年生のときに小学校のクラブ活動でサッカーを始めました

Q.現役時代は DF として活躍されていたと伺っていますが、どんな選手だったのでしょうか

A.読み・駆け引き・仲間へのコーチングに優れ、ラインコントロールが得意でした。

Q.福田代表の理想とするサッカースタイルはどのようなものでしょうか

A.基本テクニックに優れ、頭脳的プレーが出来る。ポジションごとに核となる選手を抱え、人とボールが動き、3 人目、4 人目と有機的に関わり見ているものがワクワクするようなサッカーが理想です。

Q.好きなプロチームや代表チーム、プロ選手がいれば教えてください

A.大昔になりますが、オランダのライカールトは好きでした。

Q.福田代表のお話はとてもわかりやすく、聞く人を惹きつけワクワクさせると感じます。 人前で話をするうえで、意識していることはあるのでしょうか

A.常に意識はいませんが、話す内容は準備しています。その上で目配りは大切にしています。

Q.先生には格言がたくさんあります(Be Alert、Staying Positive など)、どのようにして、 またどのようなことを普段から意識していると、そのような言葉がでてくるのでしょうか

A.読書は大きな財産になっています。自分の生き様に対してぐさっと入り込む用語はやはり気になります。最近だと「エモーションマスター」は気になっています。闘病中でも「マ インドフルネス」です。

Q.サッカー以外に力を入れて取り組んだことや、趣味などありますでしょうか

A.麻雀は得意でしたし、かなり強かったはずです。運に左右される競技なので、4 人の中で 持っている平均2.5の運をどう変えていくかを感じ取って、自らの捨てパイなども変えていきます。将棋含めた卓上ゲームや UNOは好きでした。 また、登山・旅行・競馬などは時間を見ては楽しんできました。

Q.色々なお話を伺うことができましたが、三郷ジュニアユースの選手たちにはこれからどのようなことを大切にして、サッカーに取り組んでほしいでしょうか

A.やらされていると感じたときは自らの心の持ちようを考え直さなければいけません。サッカーのおもしろさは自分で気付くものです。気づき→築きです。

Q.ジュニアユースのコーチングスタッフに期待することは何でしょうか

A.一貫性を大事にして、最高のトレーニングメニューを用意して欲しいです。そのために時間をかけてトレーニングフローを練ることが習慣化する事を期待しています。 継続は力なりですが、現状維持は後退です。常に工夫が大事です。素晴らしいメンバーで成 り立っていますので成績は上がるはずです。チーム伝統の仲の良さでこれからのいくつも の難局を乗り越えていって欲しいです。

Q.大切なご家族へメッセージを

A.本当にサッカー馬鹿で、家庭など顧みない父親だったかもしれません。それでもここまで 子ども達は立派になってくれました。少しでも背中を見てくれていたなら良かったです。 妻には辛い思いばかりをかけました。特にジュニアユースを立ち上げてからは毎日夜も遅く、ジュニアユースの活動が終わってから学校に戻って仕事をすることも多くありました。 ここまでついてきてくれて本当にありがとう。

Q.最後に福田代表と関わったすべての人たちへ、メッセージをお願いします。

A.サッカーに出会い、プレーヤーとしても指導者としても楽しいことばかりでした。辛いことも多かったですが、まっすぐにむかって生きている自分を感じ取れてそれが幸せでした。 未熟者で、情熱だけで突き進んできました。現在は教員も引退し、ジュニアユースが全てです。そして、指導するサッカー選手達が最も大切です。 私の魂は、いくつかのキーワードものと「F-Braves」が引き継いでくれます。私の財産であ る優秀な教え子達がどんな未来をこじあけてくれるのか見守っていきます。 全ての人に感謝しております。ありがとうございました。

これまで多くの総回診をご覧いただきありがとうございました。スタッフ一同福田前代表の思いを背負い精進して参りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。