福田教授の総回診【第12回】結局ベースは心?

私は毎日歩く私は毎日どのくらい歩いているのだろう私は今まで何歩歩いたのだろう私の一歩の歩幅はどのくらいなのだろう私はこの道を何回歩いたのだろう

蟻を何匹踏み潰してしまったのだろう何回階段でこけたのだろう

私はそんなこと意識して歩いてこなかった。

私が歩いたせいで、無意識にとはいえ虫が死んでいる私のとってはどうでもいいことかもしれないが、虫にとっては大災害だ。

神は地球にその身をやつしている。われわれが無意識に虫を踏みつけているように、神は時として無慈悲に我々を踏みつける。大震災・病気・災害・交通事故だってそうだ。何を意識してすごしていたとしても、避けられないことが多い。我々人間はそれを神様の無慈悲さとして嘆くかもしれない。しかし神にとってみれば地球全体の中での人間の営みなんて虫レベルの存在であろう。よって個に降りかかる不幸など、神に悪意はないのかもしれない。

君は、毎日サッカーをしてきた君は、今まで通算何分間ピッチに立っていたのだろう君は、1試合どのくらい走ったのだろう君は、1試合何回くらいボールに触っているのだろう君は、この試合で何回ミスしただろう何回動き方ミスしたのかな、何回すばらしい動きをしたのかな何回ディフェンスサボったのかな、何回すばらしいポジションにいたのかな何回下向いたのかな、何回声で仲間を励ましたのかな

みんなはそんなことを意識してサッカーやっているわけではない。行き当たりばったりで、サッカーをしている選手がほとんどだろう。

しかし、サッカーの神はみんなの身近にいる。そしてみんなをしっかり見ている。プロになる選手は神様が無意識に・・・ではないのです。みんな御見通し。

だってサッカーの神はみんなの心の中にいるのですから。サッカーで成功するものは自分自身がそれに気付いている。成功しないものも実は自分で気付いている。

サッカーの神と契約を結び、誓いを固く守る。そんな信仰心なら私も持ちたい。