福田教授の総回診【第10回】自立

「グレル」とは道を外れるという意味で使われ、その多くは、中学生や高校生を対象としているようだ。「グレル」の語源は、もともとはハマグリをひっくり返した「グリハマ」という言葉から転化したものらしい。江戸時代の「貝あわせ」という2枚貝を合わせる遊びで使われていたのだろうか。

少年の頃、私は「私」という作品を造る過程で、野球というスポーツを成分にした。甲子園を想い、巨人軍を愛した。キャッチボールでショートバウンドのボールを取ることに快感を覚えた。広場でキャッチャーフライをノックで打つ技術を習得し、一人ノックを楽しんだ。ノックに失敗して遠くまでボールを取りに行くリスクを自分の未熟さゆえの試練と課した。建物の壁にストライクゾーンを書き、そいつとバッテリーを組んで、2時間でも3時間でも、仮想野球試合をした。
鉛筆を見れば、ヒットだの三振だのホームランだのを6角形に刻み、転がしていた。小学校6年生の頃、夜九時から大声で100まで数えながら素振りを公園でしていたら、どこからともなく素振り仲間が10人以上も出来た。1人10回ずつ声出ししていたら100回で止めたくても止められなくなった。「バット打ち」(公園でやるゴムボールとプラスチックバットでやる遊び)で友人関係を築いた。
スナック菓子についてくるプロ野球の選手カードを集め、スナック菓子をゴミ箱に捨てた。野球がきっかけで新聞を読むようになった。ラジオでの野球中継でスコアブックを付けた。学校の掃除ではほうきは当然バット、丸めた雑巾など何でもボールに変化した。いわゆる野球きちがいだった。

内野手が打球を捕球しようとするのに、ダイビングキャッチを試みることは甲子園では当たり前だった。必然のごとく学校の堅い校庭でも私はダイビングした。擦過傷なんて当たり前だったし、血だらけの私に対して、親も気にもしなかった。苦痛を感じたこともなかった。以上のことは誰からも指示も、命令もなく自分で好きでやっていることで、自分が決め自分がその責任を負っていた。
もちろんプラスもマイナスもあり、それを甘受した。私が所属していたチームは強かった。おかげで私は負け試合を全部記憶している。中学校でも私は野球がしたかった。仲間と監督も中学のシニアチームでやることを約束し、みんなで中学校では野球以外の部活に入ろうと言うことになった。そしてサッカーという禁断のスポーツに出会い、いい意味でも悪い意味でも「パンドラ箱」を開いてしまった・・・・・。

なぜ、中高生はグレルのだろか。おそらく、自立の道を歩いていろいろな苦難に立ち向かおうとしている時に、大人達が引いた押しつけのレールの上を歩かせようとすることに思春期の多感な中学生は、反発するのだろう。
中学校では、高校進学に重きを置くため、高校進学に不利にならないように、また勉強以外のことに目がいかないように、校則で頭髪から服装から生徒を画一化しようとしてきた過去はある。当然戦中戦後の日本国民の挙国一致のメンタリティがベースにある。私の青年期の日本は受験戦争が激しく、今以上の学歴社会があった。グレル生徒は半端なく多かった。家庭内暴力が社会問題になり、詰込み教育の批判からゆとり教育が叫ばれた。
そのせいなのか、ルーズソックス、茶髪、腰パンなど文字通りゆるゆるの時期もあった。そしてそれらは教員の質の低下が原因であるかのように責任転嫁され、免許更新制だのゆとり教育の脱却だの迷走中である。学校社会の変遷は景気や社会にも左右されるのだが、目の前の問題だけに対策をせまられる教育素人政治家や、右向け右系列の利権が絡む大学教授が金の落ちる、謎の答申を作成している。本質への帰還と本質の議論が失われつつあるのかもしれない。

もし、学校がなく、究極言えば、無人島に流され1人になったらグレルという言葉を使うものさしすらなくなってしまう。当たり前の話だが、多くの集団のなかで、特定の権力や圧力で、生き方が規制されれば、当然グレル(敷かれたレールの上を歩けないのだからこぼれる)人が生み出される。飛躍して言えばエジプトやリビアは規制の利かないインターネットという自由が革命的デモ行進を生んだのだろう。
自由というのは非常に素敵で、自己責任社会を生み出す。自立した、または自立したい人間や国にはプラスに働くことが多いように見える。しかし自由というのは非常にいい加減で、時には人に振り回され、時に自立出来ないものは置いていかれる。

サッカーは人生そのものである。ちょうどいい理想的な最低限のルールが気持ちいい。「子どもを大人にし、大人を紳士にする」多くの子ども達にサッカーをしてほしい。サッカーを学ぶ本質を見失わないように。夢を求める中でもサッカーの活動をベースに1日の充実感を味合いそれが自己を高めていく。もちろん夢の実現に向けて、そこに近づくように指導もします。しかし型にはめこんだり、決して無理な押しつけをしない。選手が、夢を追い求める中でいい大人になれる。そんなチームにしたい。