第7回 柳田 竜成 「ジュニアユースでの経験を糧に」

『ジュニアユースでの経験を糧に』

柳田竜成

三郷ジュニアユースで得た経験は自分の土台となっている。サッカー面はもちろん、人としてあるべき姿を学んだ。しかし、もっと身につけておけばよかったと思う後悔の部分もある。ここでは私が何を学んできたか、何を身につけておきたかったか、そして何を伝えたいのかを私の経験のもと、書いていきたい。

私の代を一言で表せば、三郷ジュニアユース陸上部だ。とにかく走ってきた。試合に負ければ走りがあり、試合をしていないときもゴール裏を走っていた。トレーニングでも同じだ。河川敷グランドの土手を10キロ走る時もあった。合宿では早朝からコートを回ったり、坂を駆け上がったり、本当に記憶に残っていることは走りが多い。私の代は身体能力がきわめて低かった。そのため、担当コーチはほかの代よりも多く走り込ませたのだと思う。では、この走りから何を学んできたのか。私がジュニアユースで一番強く学んだことは、仲間とともに壁を乗り越えることだ。例えば、本数10本というノルマ。タイムは、ギリギリに設定されている中で誰もが辛い状況にあるはずだ。その中で、みんなで声を出して盛り上げ、辛そうな人の背中を押して走る。もしかしたら、もっと強いチームだとこのような光景はないかもしれない。少なくとも高校(昌平)ではこのようなことはなかった。
走りメニューのノルマは、常にみんなで乗り越えることが求められていた。自分一人だけでもノルマクリアは嬉しいものであるが、みんなで乗り越えた方が達成感もあるし、何より辛いことが半減された。そして、小さな力でもみんなが目標に向かって、同じベクトルを向けば大きな力を発揮することができることを知った。それが実感できたのは、埼玉県クラブユース選手権だ。
私たちは、関東大会はもちろん、高円宮杯の県大会にすら出場することができなかった。しかし最後の大会である選手権では、チームでベスト8という目標を立てた。
初戦の見沼FCは私たちにとって因縁の相手だった。その代の見沼は関東大会に出場しており、以前、日本クラブユースでは0-3という完敗を喫していた。しかし仲間のためにも一日でも多く試合がしたい、そんな想いが勝利につながった。二回戦ではFCアスミ、三回戦では大宮FCと激戦を繰り広げながらも、全てPKで勝利をつかみ取った。PKもベンチや保護者が一つになって戦えたような気持ちがしていた。準々決勝の相手は東松山ペレーニア。延長までもつれ込む試合をしたが、1-2の惜敗。私たちはベスト8という目標は達成した。負けた悔しさと最後の公式戦が終わったと思うと涙があふれたが、それでも今まで走り込んできたこと、仲間と力を合わせてやってきたことが成果となって粘り強い試合ができるようになっていた。

この三年間で多くのことを学んできた。
① オフザピッチでは、挨拶、身だしなみ、話を聞く姿勢など。サッカー選手である前に、人として当たり前のことが当たり前にできること。その条件があってこそ、サッカー選手として一人前になれるのである。
② メンタル面では目標に向かってストイックであること。この部分では、高校に行ったときにとても必要となった。結果が出ないときにあきらめずにストイックにやりきれるか。私は、ジュニアユースで培ったメンタルのおかげで高校でもストイックに取り組むことができた。

ジュニアユースの時にもっと身につけておけばよかったなと思うこと

それは、サッカーをやるうえで必要な止める、蹴るの技術、そして判断力である。私が高校時代に一番苦労した部分がこの部分だ。では、どうすればいいか。ただ蹴って止める練習をすればいいということではなく、いかに「試合を意識」して取り組めるかだ。レベルが上がれば上がるほどそれは高いレベルで求められる。「止める、蹴るの技術が高いほど首を振って情報を得ることができ余裕を持てるので、プレーの幅を広げることができる。そして、情報量が多ければ多いほど選択肢は増え判断材料となる。しかし、選択肢は多いといえどもすべて2択、3択の連続だと私は思う。その中で、その選択肢の中で正解を出し続けるベストな判断をできるか。また、最悪の判断を回避できるかが重要だ。しかし、技術が伴わなければ、選択肢の中から消されることもある。そのため、ジュニアユースでもっと止める、蹴るを磨いておけばやれることが増え、もっと正しい判断ができたはずだと後悔している。

結果がうまく出ないときみんなはどうしているか。

試合に出ることができない時や、勝つことができないなど多くの人が経験したことがあるはずだ。自分なりに努力してもなかなかうまくいかない。そのような状況でもみんなには、腐らず、あきらめずに貫いてほしい。最後に一つ、自分の高校の実体験から伝えたいことを話したい。私が入った高校はポゼッションサッカーのスタイルであり、止める、蹴るの技術とても必要だった。さらに私よりもうまい選手は山ほどいて、同学年でプロが二人でるほどのレベルであった。部員は約180名。正直、高校では試合に出れないかもしれないと思うこともあった。高校では、5つのカテゴリーに分かれていた。上からトップチーム約30名(全学年)、B1約30名(2,3年)、B2約60名(2,3年)、1年A約20名、1年B約40名。3年生が抜けると、1年AはB1、1年BはB2に合流。私は最初、1年Aに所属し、それから2年の5月ごろまでB1として頑張ってきた。トレーニングでは、自分の技術不足でミスを連発しよくはまっていた。トレーニングでは当たり前だが常に100%で取り組んだが、なかなか結果に表れなかった。かなり悔しくて辛い時期であった。しかし、ある日チャンスが訪れる。2年の5月に、トップチームのサブとB1との紅白戦があった。私は、B1のスタメンではなかったので、副審をやろうとしていた。ところが、たまたまトップチームのサブの人数が足りず、急遽トップチームの方で穴埋めとして試合に出ることになった。これから先、訪れることのない千載一遇のチャンスだと思いいつも以上に全力で取り組んだ。正直、納得のいくようなプレーはできなかったが、次の日からトップチームに昇格することができた。やっとスタートラインに立つことができた。それから時が経ち、新チームになった時スタメンの座を勝ち取ることができた。

何が言いたかったのかというと、「誰にでもチャンスは訪れる」と言うことだ。しかし、それは腐らずに努力し続けた人のみにチャンスは与えられると私は思っている。「結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる。」この言葉は、一流メジャーリーガーであるイチロー選手の言葉だ。この言葉は、私にとって結果が出ない辛い時期に胸に刺さった言葉の一つだ。ジュニアユース時代にうまくいかないことはあるはず。それでも、常に全力で努力し続けるからこそ必ず自分が求めていたものが手に入るはずだ。さらに、手に入れたら新たな目標が見つかるだろう。この言葉のように、辛い時期をどう乗り越えるか、行動するかがチャンスをつかむきっかけにつながる。ジュニアユースだけに限らず、これから先いくつもの壁にぶつかるだろう。それでも、あきらめずに努力し続けてほしい。ストイックに貫いてほしい。腐らないでほしい。みんなにならできるはずだ。常に高みを目指して、夢に向かって走り続けよう。