PASION設立にあたり


PASION  設立にあたり

 

三郷Jr Youth FC1997年に発足し、今年で24年目を迎えました。今でも埼玉県クラブユース(U-15)連盟では語り草となっていますが、チームは発足3年目に、1期生がいきなり埼玉県クラブ選手権で優勝を成し遂げました。

当時埼玉県の中にあって、三郷市はさいたま市や児玉町、江南町などと引けを取らないサッカータウンでした。少年団が盛んで三郷市内の少年団でサッカーしてきた選手たちは、その実力をひきさげ、学区の中学校で(彦成中・彦糸中・早稲田中などは特に)県上位の成績を収めておりました。

しかし、クラス数の減少に伴って、中学校顧問が転勤や勤務の増加などで、中々部活指導に時間が取れなくなっていきました。満足な指導をもらえなくなって、エネルギーを持て余した中学校のサッカー選手たちに対し、地域の多くの方々から私に、「中学校でも真剣にサッカーをする環境を用意して欲しい」との声をいただきました。(1996年、私は当時三郷工業技術高校を指導しており、中澤佑二が在籍中でした。そして、その年は近隣の中3でサッカーを引退した選手たちを集めて活動しておりました)。

1997年、地域の声に応える形で中学生年代の選手たちを教えるクラブチームを作ることを決意しました。1月の三郷市教育長杯の閉会式で5分という時間をいただいた私は、選手や保護者に想いをぶつけました。何の実績もない新規立ち上げのチームに、翌年度なんと24人の選手が入会してくれました。1年生のみのチームですから1年目は負けっぱなしでしたが、基本を大切にし、保護者の支援を受けながら3年間やっていきました。結果、最後の大会でとなる埼玉県クラブ選手権で優勝を果たしたのです。その日、川越陸上競技場から戻り、「味平」という中華料理屋の2階で保護者に祝勝会を開いていただき、優勝カップでビールを回し飲みしたことを思い出します。今は亡き戸ヶ崎イレブンの会長さんなど多くの少年団の指導者の方々も、飛び込みでお祝いに駆けつけてくれ、馬鹿騒ぎし、至極の時を味わいました。あの時の皆さんの笑顔は忘れることのできない思い出です。そして、あの教育長杯の閉会式後に三郷Jr Youthに入会を決めてくれた三郷市内の24人の選手たちと保護者の熱い想い、そして潜在的POWERを改めて実感しました。

あれからというもの、いい選手と、いい保護者と、いい地域環境に恵まれ三郷Jr Youthは2018年の国内大会準優勝をはじめ、関東大会5回、県内優勝2回、県内TOP10で構成される県リーグ1部所属など、常に上位の成績をおさめ続けることが出来ています。また5年前、三郷FC Jr出身の阪野豊史選手が浦和レッズに入団するなど(現在は松本山雅FC)、現在までJ3の選手まで含めると5人のJリーガーを輩出しております。

話は変わりますが、チームはここまで、少年団への感謝との協力体制を維持するため、U-12のクラブチームを設けずにここまで来ました。そして少年団所属の選手たちのレベルアップに一役買えればとの想いで、16年前に平日のスクール活動をはじめました。その後、スクール生も100人を超えましたので、7年前にアドバンススクールを別途セレクションで設け、エリート教育もしてきました。そして、私の娘(福田史織(立花キッカーズ卒))をはじめ、丹野凜々香(早稲田つつみ卒)などスクール生女子からも2人の世代別の日本代表選手も生まれています。

しかしながら、近年、少子化、市内サッカー人口の減少、他地域のクラブチームへの選手流出、少年団スタッフの高齢化などが顕著になり、三郷市のU-12世代の大会上位進出は難しくなり、同時に人数不足から、いくつかの少年団は活動そのものも厳しくなっています。そんな中近隣でU-12のクラブチームが2つ立ち上がりました。私が敬意を持ち、ご協力、ご支援いただいてきた少年団も、時代の流れとともに苦しい状況にあるようです。一方、スカイパークの開設、セナリオハウスフィールドという三郷市の競技場が完成したことで、より三郷市のサッカー環境は向上しています。三郷Jr Youth FCはここに、U-12下部組織の設立を決意いたしました。コロナ含め、非常に厳しい逆風が予想される中、現在すでに7名の方が、新規入会の声を上げてくれています。24年前を思い出し、地域を愛し、信じ、船出します。

是非ともPASIONに選手をお預けください。情熱(パッション)ある保護者のエネルギーも信じています。対象は新4年生までの選手です。女子も大歓迎です。24年前とは比べ物にならないくらい、準備は整っています。多くの選手・保護者の皆様とともに、新しい歴史の最初のページを作っていきましょう。ご支援よろしくお願いいたします。詳しくは別紙をご覧ください。

福田 貴司