福田教授の総回診【第21回】コロナとわらしべ長者  ~「サッカーにもデジタル社会の到来」~

練習試合(練習も)からサポーター(たくさんの応援と厳しい目)がいるチームは選手にとってすごくいい緊張感があります。同じチームと対戦してもHOMEの方が、より勝率が高い原因は、よりサッカーがサポーターの存在(たくさんの応援と厳しい目)が大きいのかを証明してきたのです。それは競泳などでも大きな大会ほど世界記録が出やすい原因と似ています。

今年、コロナの影響でいたるところで無観客試合が行われていますが、そのことについて思うところがあります。それは、熱量をも含めて「決して試合の質までは下がっていないな」ということです。

このことは海外サッカーもJリーグ、なでしこリーグも、U-18の高校選手権もチームの練習試合もです。サポーターの殺気だった圧力がないので、過度な緊張がないためなのか、昇降格もない開放感から力が抜けているからなのか、人によって思う原因は様々でしょう。私の考えは「選手・チームの根底にある勝利欲」です。観客の有無は関係なく選手・チームはやっぱり、勝ちたいんです。いいプレーをして来期の評価につなげたいんです。そして何よりサッカーという競技は「全力で戦わなければ勝利はつかめない」ということを競技者は知っているのでしょう。「負けず嫌い」。よりベーシックな部分ですね

 

私は質が下がっていないそれ以外の面についても思うところがあります。それは、動画放映など一種のデジタル化です。無観客であっても、試合は動画に収められて配信される時代です。昔で言えば1枚の記念写真にカッコよくおさまろうとポーズを取るようなものかもしれません。「テレビが入る」と、がぜん張り切る国会議員、今日の試合はビデオ撮るよというだけで少し張り切る選手も同じなのです。映像に残るというのはサポーターがたくさん見ているのと同じモチベーション効果がありそうです。

 

最近のサッカーは、GPS機能を用いて、選手の走行距離やスプリント数、パス成功率、枠を捉えたシュート率などが、後々までデータとして処理され、それが選手個々の分析や評価に活用されています。今の時代、映像が残り、その編集と分析はチームだけでなく、個々の選手たちのレベルアップに欠かせないツールとなっています。ゆくゆくは日々のチームのトレーニングですら、専門の企業や部署により映像保存され、時には金銭を伴いながら相手チームを知る情報源にもなるでしょう。そして、自チームの指導の質の向上や、選手のモチベーション評価、理解力や伸びしろ、またチーム選びの材料にも使われていく時代になりそうです。さらには価値のあるシーンをピックアップしてHPに紹介することで集客率アップや、チーム人気、知名度などを高める効果もあるでしょう。バルサTVなどがそうです。また、プロの世界においては人事考課にも使われそうです。

一般企業において労務管理側が勤務評価を付けるのは実績だけではないはずです。通勤距離や部署の適性などの他に、日常の勤務態度、職場間のコミュニケーション力、付加価値を産めるクリエイティブ面、ピンチに強い精神面を持っているかなども評価項目でしょう。それをサッカーでは映像という形に残し、より言い訳の出来ないデータ分析で選手に突き付けられる時代がきます。

新内閣(菅政権)がデジタル庁の創設の早期実現を目指しています。もはや、サッカーチームはチーム力アップのために映像をどう利用するか、この部門の充実を図れる人材が優秀なコーチと同様に求められるでしょう。

 

しかし、その一方で指導者の目や試合などの映像だけでは見落とされがちな土台があります。サッカーでは一般的にフィジカル(体力)・タクティクス(戦術)・スキル(技術)が重要な要素です。しかしこの3つを有効に機能させる動力源はメンタリティ(精神力)・ソ―シャリティ(社会性)です。ここに傾注しない出来ないチーム、指導者は二流です

サッカーは練習でも試合でもうまくいかないことが多い競技です。陸上や水泳、テニスや卓球などはミスの分析の大半を自分に向けることができますが、サッカーはそうはいきません。受け手、出し手、3人目、4人目の関わり、相手、スペースなど複雑な要素を分析しなければなりません。

自己分析が出来、練習の場面で自分だけが工夫し、頑張ったところでうまくいくということはないのです。仲間全員が厳しさや辛さに対して逃げることなく同じベクトルでトレーニングすることが求められます。そんな時、メンタリティやソ―シャリティの高い選手が多くいるチームはつまらない練習も楽しくし、限界を超えそうな厳しい練習ですら前向きにすることが可能です。そこを兼ね備えた選手を育成するためのアプローチや、そこを兼ね備えた選手への評価はデジタル化だけでは難しそうです。

ですから、我々指導者は取り入れられるものはしっかりと取り入れ、その中で1人1人の選手と丁寧に、また熱量を持って接していかなければなりません。選手への心のアプローチはどの年代になってもある程度は求められます。そういった部分では、指導者もまたメンタリティとソ―シャリティに長けていなければならないのです。私など中途半端で、まだまだ自分の未熟さを痛感させられます。

 

何をやっても上手くいかない貧しい男が、運を授けて欲しいと観音さまに願掛けをする。すると観音さまが現れ、お堂を出た時に初めて手にした物を大切にして西へ行くようにと言われる。

男はお堂を出たとたん転んで一本の藁を手にする。それを持って西へ歩いていくとアブが飛んできたので、藁でしばって歩き続けた。泣きじゃくる赤ん坊がいたので、藁につけたアブをあげた。すると母親がお礼にと蜜柑をくれた。

木の下で休んで蜜柑を食べようとすると、お金持ちのお嬢様が水を欲しがって苦しんでいた。そこで蜜柑を渡すと、代わりに上等な絹の反物をくれた。

男は上機嫌に歩いていると倒れた馬と荷物を取り替えようと言われ、死にかけの馬を強引に引き取らされてしまった。やさしい男は懸命に馬を介抱し、その甲斐あって馬は元気になった。

馬を連れて城下町まで行くと、馬を気に入った長者が千両で買うと言う。余りの金額に驚いて失神した男を、長者の娘が介抱するが、それは以前蜜柑をあげた娘だった。長者は男に娘を嫁に貰ってくれと言い、男は藁一本から近在近郷に知らぬ者のない大長者になった。

 

有名な「わらしべ長者」です。この主人公のメンタリティとソ―シャリティをもう一度考えさせられました。「信心深さ」「チャンスはどこにでも転がっている?」「出会いの大切さ」・・・おっとその前に「藁にもすがる想い」?               さあコロナを藁(笑)に!!